忍者ブログ
ラルフローレン(RALPH LAUREN)通販  ≫ ラルフローレンについて

ラルフローレンについて

スポンサードリンク

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

| | 編集 |

ラルフローレンの国内展開

ラルフローレンは国内では、当初、西武百貨店 ラルフ・ローレン事業部が展開。後に西武百貨店100%出資の「ポロ・ラルフ ローレン ジャパンを設立し、ここがブランド管理と広報宣伝を展開。シャツ、ソックス、タイと各アイテムごとに違う会社にライセンスを行っていたが、後にオンワードに集約。現在ではオンワードの関連会社であるインパクト21が店舗展開も含め、レディスを展開。オンワード以外では子供服、ソックス、ゴルフをナイガイが、寝具を市田が、インパクト21のグループ企業、パートナー21がポロ・ジーンズ、アクティ21がメンズを展開している。

2003年、オンワード、西武、米国本社が出資する、新生「ポロ・ラルフ ローレン ジャパン」社を設立予定。インパクト21、パートナー21、アクティ21はインパクト21に合併される。ポロ・ラルフ ローレン ジャパンは米国本社が50%、オンワードが45%、西武が5%出資、米国本社は新生インパクト21にも18.1%出資する。また、同社設立に伴い、2003年2月に原宿店閉店を受けて、2006年3月、表参道に旗艦店をオープンしました。
PR

ラルフローレンの歴史

ラルフ・ローレン(ラルフ・リフシッツ、ローレンは後に父親が姓を変更したため)は1939年アメリカ・ニューヨークに4人兄弟の末っ子として生まれた。両親はロシア系ユダヤ人の移民。ブルックス・ブラザースのネクタイ売り場を担当していた頃、彼のアイデアではじめた幅広のネクタイが大ヒットし、これがきっかけとなり67年ボー・フランメル社に迎えられ、「ポロ」のブランド名で本格的に高級な手作りネクタイの部門を開設する。ここで発表したワイドタイがヒットして、独立。68年、メンズウェアを手がける「ポロ・ラルフ ローレン」社を設立、コレクションを発表。ブリティッシュ・マインドの中に、機能性やアメリカらしいカジュアル感を持ち込んだ新しいアメリカン・トラディショナルを打ち出す。

70年、メンズウェア部門でコティ賞受賞。71年からは、婦人服も手がけ、上品で伝統的なテーラードスーツが好評を得る。この年、初の路面店をビバリーヒルズにオープン。メンズウェア部門でトニー賞受賞。73年映画「華麗なるギャッビー」、77年にはウッディ・アレン監督でアカデミー賞受賞作品「アニーホール」の衣装を手がけ、とくにアニーホールのダイアン・キートンの衣装は一躍、マニッシュスタイルのブームを巻き起こした。

78年、初のフレグランス「POLO FOR MEN」、「LAUREN FOR WOMEN」発表。ボーイズウェア「POLO FOR BOYS」発表。米国トランスワールド航空のユニフォームをデザイン。弟ブランドともいえるメンズウェア「チャップス・ラルフ ローレン」発表。79年、メンズ用フレグランス「CHAPS」発表。81年、ロンドン、ボンド・ストリートに路面店をオープン。ガールズウェア「RALPH LAUREN FOR GIRLS」発表。ポロ初の複数ページキャンペーン開始。米国ファッションデザイナー協議会賞受賞。

82年、FOOTWEAR発表。83年、ホームファニシング「THE RALPH LAULEN HOME COLLECTION」発表。85年、婦人バッグ発表。86年、ニューヨーク・マジソンアベニュー72丁目に本店をオープン。89年、ゴルフウェア「POLO BY RALPH LAUREN FUNCTIONAL GOLFWEAR」発表。

90年、サファリファッションに合わせ、レディス用フレグランス「SAFARI」発売。クリスタル、陶器、テーブルリネンなどの「RALPH RAUREN TABLETOP COLLECTION」発表。91年、メンズ用フレグランス「POLO CREST」発表。92年、アメリカズカップ「アメリカ・キューブ・ファンデーション」にユニフォームとスポーツウェアを提供。93年「RRL(ダブルアールエル)」発表。マジソンに「ポロ・スポーツ・ショップ」をオープンし、「ポロ・スポーツ」開始。94年、ウィメンズ新ライン「RALPH」発表。

95年、最高級ラインであるイタリア縫製のメンズライン「RALPH LAUREN PURPLE LABEL」発表。ベビー・トドラーライン「RALPH LAULEN INFANTS AND TODDLERS」、「RALPH LAULEN LAYETTE」発表。96年、彼の息子世代に向けて「POLO JEANS CO.(ポロ・ジーンズ カンパニー)発表。ウィメンズ新ブランド「LAUREN」発表。98年、レディス用フレグランス「ロマンス」発表。

2009年CFDAアワードで、この年から始まった、16000人のオンライン投票によって決まるポピュラーアワードを受賞。ラルフ・ローレンはタキシードにデニム姿で表彰式に登場し「これに勝る賞があるでしょうか?」と述べた。ラルフ・ローレンはこれにより功労賞、レディス、メンズなどCFDAアワードすべての主要賞を受賞したこととなる。

2010年のバンクーバー冬季オリンピックと2012年ロンドン夏期オリンピックおよびパラリンピックで北京に続き、米国選手が開会式と閉会式、選手村で着用するウェアをデザイン。北京でのネイビーと白の外観と異なり、2010年のウェアは白・青・赤が特色。

2010年4月、レジオン・ド・ヌール勲章シュヴァリエ受章。ラルフ・ローレンはヨーロッパにおいて最大となるサンジェルマン大通りの旗艦店オープンもあって訪仏しており、パリのエリゼ宮でニコラ・サルコジ大統領から与えられた。店は腕時計サロンに加えて、レストランも併設されている。

ラルフローレンとは

ブランドの始まりは1968年、ラルフ・ローレンが自身の名を冠したブランドを設立しました。

ラルフローレンはイギリスの伝統的なファッションをアメリカ流にアレンジした、アメリカントラッド、アイビーファッションの中心的なブランド。ラルフローレンが考える、アメリカのより豊かな、理想的なライフスタイルを提案する。それは一言に、上流階級の持つスタイルで、上流階級以外の人々にも、そのようなスタイルを打ち出している。

ラルフローレンは、通常のデザイナーとはことなり、デザイン、広告、販売店舗のイメージなど、ブランドを管理するプロデューサー的な役割を担う。このスタイルは多くのファッションブランドにも影響を与え、ラルフ・ローレンで経験を積み独立するブランドを多く生み出した。トム・ブラウン、マイケル・タピア、デリック・ミラー(バーカーブラック)、ヴェラ・ウォンがラフルローレンで経験を積み独立。その他、影響を受けていると思われるのがトミー・ヒルフィガーなど。

ラルフ・ローレン(Ralph Lauren)は1939年、アメリカのニューヨーク生まれ。本名はレイフ・リプシッツ(Ralph Lipschitz)。父はユダヤ人移民のペンキ職人。服飾デザインの専門教育を受けたことは無く、独学。また上流階級のライフスタイルを打ち出しているものの、ラルフローレン自体は上流階級出身ではない。むしろラルフローレンが打ち出すファッションは、彼が幼い頃に抱いた理想だったと言える。

ニューヨーク市立大学を中退。ネクタイの営業マンになる。老舗の紳士服ブランド、ブルックス・ブラザーズにネクタイを売りこんだことがきっかけで、ファッションビジネスに参加。67年、贅沢な素材を用いた4インチ幅のワイドタイのブランド「POLO(ポロ)」を発表し、話題を呼ぶ。68年にメンズウェアを発表。71年にレディスウェアを発表。

86年、アメリカ人デザイナーとして初めてパリに路面店をオープン。映画「アニー・ホール」にてダイアン・キートンがラルフ・ローレンを着て、「アニー・ホール・ルック」を流行らせたことでも有名。

2008年、北京オリンピックに出場するアメリカ選手団の公式ウエアをポロ・ラルフローレンが担当した。
スポンサードリンク
Copyright (C) ラルフローレン(RALPH LAUREN)通販. All Rights Reserved.